ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol41

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概要

takenakadaikudougukan-news_Vol41

く違う点は屋根構造です。日本は野のやね屋根といって、屋根裏の構造が発展して、軒先の荷重を屋根の内側の部材で支えることができるようになります。これで屋根はある意味軸部と関係なくつくることができるんです。屋根裏の軒先から奥に掛けて渡している桔はねぎ木と呼んでいる部材が挿入され、桔木が軒の荷重を受けるようになります。そうなると、もはや斗?は極端にいえばなくてもいいわけです。いい過ぎでしょうかね(苦笑)。構造材としての機能から解放された斗?も現れて来ました。初期的な建築では般若寺楼門(1276年)がそうで、外部に斗?を張っているだけです。このような斗?を「見せかけの組物」と東京大学名誉教授の藤井恵介先生は仰っています。一方で中国や韓国を見ると、屋根の構造と軸部の構造は綿密に関係していて、斗?は構造材として必ず必要な部材です。中国では斗?を一いちぼく木で一体型につくり、強度を高めている例もあります。意匠の側面からみると、そうですね、日中韓で一番変化が多いのが韓国、少ないのが日本でしょう。日本は建築様式によって斗と肘木構成が多少違いますが、基本的には同じ形式が受け継がれていく。恐らく斗?は寺院建築を象徴するものとしてとらえ、古来の方式を継承し続けたのかも知れません。一方、韓国の斗?、とくに肘木は、本来の中国の形が時間とともにどんどん変化し、韓国特有の彩色意匠が生まれ、彫刻化も進みました。構造から離れられない分、意匠をそこで求めることになったのでしょう。中国も斗や肘木の形を変えたり、彫刻を施す例があります。では、日本でそういうものがないかというと、近世になるにつれ、斗?の彫刻化が進みます。少ないけれど肘木の木地に浮彫りを施している建築があります。早い例で大阪堺市の法道寺多宝塔(1368年)。上層の斗?は四手先ですが、その二手先の肘木だけ前面にシャチ風の図像を浮彫りで施しています。私はマカラ(インド神話に登場する怪魚)だと思っていますが。滋賀の地主神社の幣殿(1502年)の肘木もそうで、植物文の浮彫りです。長年の文化財修理で、記憶に残っている組物はありますか。岩手の正法寺惣門(1665年)の斗?はすごかったですね。各斗の内側、つまり肘木と重なる部分(仕口内部)に丁寧に裁断した薄い和紙を貼っていました。木口の干割れ防止目的の処置と考えられます。施工時は木口にも貼っていたのではないでしょうか。斗?をはじめとする各部材の加工精度も非常に高く、几帳面な棟梁だったんだなと思い、印象に残っています。窪寺茂(くぼでらしげる)プロフィール1951年東京生まれ。約30年間文化財建造物保存技術協会で文化財修理に携わり、奈良文化財研究所を経て、建築装飾技術史研究所を開設(現在)。専門は建築装飾技術史、建造物保存修理。著書に『INAXALBUM 28 江戸の装飾建築』『歓喜院聖天堂 彫刻と彩色の美』(監修・執筆)『建築遺産 保存と再生の思考 災害・空間・歴史』(共著)ほか。韓国の組物(浄水寺法堂) 日本の組物(法道寺多宝塔)c窪寺茂予 定開館35周年記念巡回展 木組 ?分解してみました?会期 2019年10月12日(土)~12月15日(日)会場 竹中大工道具館1Fホール5