ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol41

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takenakadaikudougukan-news_Vol41

は「為加藤寛殿 長運斎是秀造 昭和十七年春 六九歳(花押)」と墨書されています。いずれも是秀本人による筆致とみられますが、中身が本物かどうか確認しなくてはなりません。是秀の作品に詳しい東京・土田刃物店の土田昇さんに依頼して、柄を外してもらうと、ナカゴには是秀の筆致による「長運斎 千是秀作」切銘が現れました。確かに是秀が製作したものです。土田さんによれば柄はサヤ師の名人であった田園調布のサヤ文の作、袋は是秀夫人である信が縫ったものだそうです。是秀は刀匠の家系に生まれながら、その長い生涯の中で刀剣を鍛えることはほとんどありませんでした。現在、残っているものは、土田刃物店所蔵品と当該品のみですから、短刀とはいえ、貴重な作品であることは間違いありません。「加藤寛」とあるのは、孫の旧名で、戸籍によると生後、加藤熊次郎の養子として届出した後、実業家である実父に認知されたため、現在は姓が変更されています。よく知られている通り、熊次郎の娘は容姿端麗であったため、芸妓となり、実業家に身請けされました。江戸熊といえば生活苦のイメージがありますが、晩年は生活に不自由することは無かったそうです。墨書より製作年は昭和17年春であることがわかります。熊次郎が亡くなったのは同年5月30日。おそらく完成した守り刀を病床で確認し、さぞかし安心したのではないでしょうか。守り刀はその後80年近く、務めを果たしてきました。途中、寛氏が自身で錆落としを行ったのですが、手に負えず、錆びが残ったまま寄贈を受けました。このままでは鑑賞に耐えないので、当館にて、刀剣研ぎ師・山田高義氏(岐阜県関市)に委託して、錆落としと化粧研ぎを行い往時の輝きを取り戻すことができました。熊次郎と是秀も天上できっと安堵しているに違いないでしょう。箱書鞘と刀身ナカゴ(裏面:左、表面:右)11