ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol41

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takenakadaikudougukan-news_Vol41

COLUMN道具好きなら「江戸熊の鑿」の物語を耳にしたことがあるかもしれません。江戸弁でまくしたてることから「江戸熊」と呼ばれた大工・加藤熊次郎は、持ち前の一徹な気性から親方とも合わず、大阪に流れて風来職人をしていました。名工千代鶴是秀の評判を聞いた江戸熊は己の腕のために組鑿を切望。面識のない是秀宛に切々と願いを込めた手紙を代筆してもらい、戸籍謄とうほん本まで付して送ったのです。その熱意にうたれた是秀は、追入鑿一式を鍛え上げ、汽車賃を工面して大阪まで届けました。直接手渡しして評価を確かめるためです。大阪駅で出迎えた江戸熊の方も借財して代金を用意していました。これを機に2人は意気投合し、親交を深めました。己の腕のために道具への投資を厭いとわず、またその心意気に全力で応える鍛冶との絆を物語る美談として有名です。*さて、この物語には知られていない続き話がありました。3年前のこと。当館に表れた80歳近くの老人が自らを「江戸熊の孫」と名乗り面会を乞われました。最初は冗談かと思ったのですが、江戸熊よろしく、戸籍謄本を持参されており、拝見すると確かに加藤熊次郎の孫でした。そして、是秀がつくった小刀があるので、当館に寄贈したいと申されました。それが今回紹介する守り刀です。昭和17年(1942)、神経痛の病を患い、末期を悟った熊次郎は、旧友千代鶴是秀に守り刀の製作を依頼していました。弟子や男子に恵まれなかった熊次郎は、孫を溺愛していたことが写真からうかがえます。しかしその孫の行く末をもう見守ることはできない。古来より日本には魔除けとして男子に刀を送る守り刀の文化がある。是秀に思いを託した守り刀を作らせよう。手紙は残っていませんが、熊次郎はそのような気持ちを込めて、製作を依頼したに違いないと思います。**守り刀が納められている桐箱の蓋の表には「護」、裏に新着資料紹介大工「江戸熊」こと加藤熊次郎と守り刀主任学芸員 坂本忠規晩年の加藤熊次郎孫(寛氏)を抱く加藤熊次郎10