ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol38

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概要

takenakadaikudougukan-news_Vol38

FEATURE構成された『聴竹居図案集』(昭和4年)、『続聴竹居図案集』(昭和7年)を著し、理論と実践の成果を世に発表しています。さらに昭和5年には明治書房から、この3つの書物を統合し英訳した『THE JAPANESE DWELLINGHOUSE』を発行し世界へも発信しています。藤井が世界の潮流にそっていたことを示すエピソードのひとつとして、昭和8年(1933)にドイツの建築家・ブルーノ・タウトが桂離宮訪問から一週間もたたない5月9日に聴竹居を訪れていたことがあげられます。タウトの日記には「極めて優雅な日本建築」「気持ちのよい階段」「この茶室は茶室建築の革新である」と記されています。藤井は環境工学に基づいた住宅の研究と実践をこうして確信し、その後も実作を次々と設計していきました。しかし昭和12年(1937)に完成した京都・中田邸「扇葉荘」が遺作となります。ガンを患い、昭和13年49歳の若さで逝去。京都嵯峨野の二尊院にある自ら病床でデザインした墓所に眠っています。完成形とした自邸・聴竹居に住んでわずか10年の短い生涯でした。茶道、華道、陶芸をたしなみ、家具、照明、書籍の装丁など身のまわりのあらゆるものを「日本の住宅」にあわせるべくデザインし、生涯住宅設計に専念した藤井厚二が、もし長生きしていれば現代住宅の様相も大きく変わっていたでしょう。2018年に没後80年を迎える藤井厚二の遺した“生き続ける建築”は、そのほとんどが個人住宅であるために小さく目立ちません。しかし「其の国を代表する建築は住宅建築である」として生涯「日本の住宅」の理想を求めたその意思のもつ現代的な意味はきわめて大きいといえます。環境がますます大きなテーマとなってきた21世紀に生きる我々にとって、藤井厚二の住宅と、そこに込めた思想を汲み取ることの重要性は増すばかりです。イタリアの哲学者であり歴史学者でもあるB・クローチェは、「すべての歴史は現代史である」と述べています。歴史を描くということは、過去を語ると同時に現代に生きる人々にとってもその意味を問うことであり、出来得れば未来への展望を示すことです。藤井厚二の“日本の住宅”=“生き続ける建築”を見つめることはまさにそこに続いているといえます。文章=松隈章(竹中工務店設計本部)+ 竹中大工道具館写真=古川泰造本稿は『INAX REPORT』 No.173(2008年1月)に加筆修正を加えたものです。「聴竹居」縁側(サンルーム)を居室正面より望む。藤井は日本の住宅における縁側の存在を「気候によく適合している」として重要視していました。3面をガラス戸で囲んでおり、上下にすりガラスをはめています。その結果、風景は額縁に切り取られたように見えます。 6