ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol38

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概要

takenakadaikudougukan-news_Vol38

昭和13年(1938)、49歳の若さで逝去した藤井厚二。もう少し長生きしたら日本の建築界は変わっていたと惜しまれる稀代の建築家でした。鉄筋コンクリート造の様式建築になびいた大正末期において、いち早く環境工学に着目し、「建築は住宅に尽きる」と断言。自邸を何度も実験的に建て替えて住み心地を検証しました。その5回目の作品が日本の気候風土の特性を活かし、和洋融合を実現した「聴竹居」です。その先見の明とデザインの質は今でも輝きを失っておらず、今年2017年7月にはその価値が認められ国の重要文化財に指定されました。また来年2018年は藤井厚二の生誕130年、没後80年、そして聴竹居建設90年目に当たります。当館ではこの節目の年を記念して「聴竹居―藤井厚二の木造モダニズム建築」展を開催します。本特集では藤井の足跡を辿りながら、木造モダニズムの原点、そして生き続ける建築とは何かを見直してみたいと思います(展覧会情報はP.10)。審美眼と思想を育んだ教育環境─ 第一級の美術品と伊東忠太藤井厚二は明治21年(1888)、現在の広島県福山市の素封家の次男として生まれています。父与一右衛門は、十数代続く造酒屋・製塩業・金融業「くろがねや」を営んでいたかつての御用商人。藤井家は堅実に家業をFEATURE[特集]木造モダニズムの原点時代の先を駆け抜けた建築家 藤井厚二の足跡30歳頃の藤井厚二結婚して身を固め、また竹中工務店を辞して欧米諸国へ視察旅行をするなど人生の転換点にあった頃の写真。月夜の聴竹居2