ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol37

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概要

takenakadaikudougukan-news_Vol37

いところが出てきますんや。そのたびに法隆寺に見に行きました。うまいこと屋根葺いとるしやな。で何べんでも見に行って、真似しようと思ったけど、真似ができん。そりゃやっぱレベルが違うたわけです。法隆寺の屋根に憧れましたわ。それで何とか、「法隆寺の仕事を世話してくれる人はないやろか」と。当時、法隆寺の屋根を葺いていたのは井上新太郎さんという親方やけども、うちのお父さんの親方の息子さんが「その人やったらわし知っとる」ちゅうからね。それで「ええ時から来い」ということでな。その頃はみな徒弟的なやり方やった。親父なんかやったら「教えてる」と言うたかて怒ってるだけやわな。ところが師匠は、教え方が違うわけや。怒んのと違うてほんまに教えるちゅうこと。晩でも「ちょこっと山本、こんなこと分かるか?」と、宿題を出してくれんねん。ちょっとした断面図、図面を描いたりする。まあ規きく矩やわな、大工さんで言うたら。そういう納まりをちゃんと自分で描いてましたわ。それまではみな勘ですわ、職人みたいなもんは。当時の屋根屋は、まだ図面は描いてなかったですな。古代瓦の復元―山本さんは屋根工事をされるだけでなく、古代瓦の研究もされていますね。やっぱり瓦の歴史をまず知るちゅうことが大切です。最初は百くだら済から来た人が日本に瓦を伝えたわけやけど、その頃日本人は、土で焼いたものを屋根の上に載せて雨を漏らんようにするような、そんな頭は全然無かったと思うんです。日本に瓦が伝わった時には須すえき恵器っていう、壺やとか土器はたくさん焼いとったから、瓦もその窯を利用して焼いていたと思う。須恵器と同じ物が瓦のはじまりや。せやけど我々は、瓦のお手本ちゅうたら銀ピカに焼いたもんやっちゅうことを、みんなが今まで思ってたわけ。そやけど瓦の歴史からいくと、そんな時代はちょっとですよ。また、瓦も作って屋根も葺いとる人やったと思うし、百済の人が屋根も葺いたと思うんです。今は分業化されとるわな、屋根屋と瓦屋と。せやけど、室町ぐらいの瓦なんかは、もの凄いこう、いろんなことを考えて作っている。現場で瓦葺いとる者やないとそんなこと考えられへん。そやから、やっぱり両方できなんだら一人前とちゃうわけや。室町には橘たちばなの吉よし重しげとか、名人みたいな人の名前が残っとる。唐招提寺の鎌倉の鴟し 尾び にも作った人の名前が書いてある。でもその鴟尾は、キズの入った物をそのまま使うてた。普通なら使いませんやろ。なんでやったんやろうな。鴟しび尾っちゅうもんは難しいで。昔も、竣工に間に合わなんだやつが、たくさんあったん違うかと思うねん。そりゃ粘土で作ってる間は楽しいわい。そやけどな、乾燥して焼きあがるまでに、そのまま、まともなものができるっちゅうのは、よっぽど中国とか韓国みたいに、ああいうええ粘土があれば作れるけれど。普通やったら、日本の土ではあんなんできへん。やっぱりそりゃ中国とかは膨大な粘土があんねんからな。どんな粘土でもあんねん。それが、日本との違いですわ。人を育てる―山本さんは「瓦づくりは人づくり、人づくりは国づくり」と仰っていますね。人は育てられるときに育てておかんと、一代欠けたら繋つながるもんも繋がらんようになってしまう。駅伝みたいなもんでバトンタッチしないと、途切れたら終わりです。それは目立たないしんどい仕事ですわ。また、余裕ができた時にすればいいというんでは、間に合わんこともあるのや。うちには今若いのが17歳か、それぐらいから来ておるけどね。朝早いでっせ。6時10分か15分くらいになったら一番若いのは来よる。わしは5時に起きてお湯を沸かして、それで十何人分のお茶を、みな来よるまでに入れて待ってんのや。もう苦い苦い茶やけどな(笑)。ほんで6時半に打合せをして、あとみな出て行った後、茶碗をみな洗うてな。遠くから来る若い衆だったら、40分くらいかかって来よる。せやから、その家族はわしよりももっと早う起きてるはずや。わしは、その人らに感謝して入れとるだけで、苦かったら飲まんとほっといたらええねん(笑)。しんどうて「もうやめとこか」ちゅうような日もあったけど、やっぱりこれだけはな、死ぬまで続けようかいなと思っとる。せやけど楽しいでっせ。東大寺大仏殿修理 軒丸瓦を葺き始めるところ(昭和52年) 東大寺大仏殿修理 大棟の原寸図を描く(昭和52年)聞き取り:2016年10月5日、2017年3月28日。山本瓦工業にて。P2~5写真・図版提供:山本瓦工業5