ブックタイトルtakenakadaikudougukan-news_Vol37

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takenakadaikudougukan-news_Vol37

た。その理由を考えてみると、力学的解析ができない、新築がほとんどない。材料も手に入りにくくその技術を伝える人材がいない。そういうものは要らないだろう。こういう状況だったからです。では社寺建築は皆無になったかと言うと、そうではなくて金閣寺(1955)、熱田神宮(1957)、明治神宮(1958)などが立てられています。なかでも金閣寺の再建については詳しい記録が残っています。1950年に焼失した後、再建しようとなりますが、全焼したため国宝指定解除になった。国宝でないのに国費を用いた再建はできない。それで知恵を絞った結果、庭が残ってるではないかと。庭を復元するのに金閣寺がなくてもいいのかという話になって、庭園の復元のために予算が出されることになる。しかし金閣寺そのものを建てるかどうかは基準法に則るわけです。しかしそれは問題にならなかった。現場は経験豊富な松本謙吉が技師を担当。後藤芝三郎氏が現場監督をして、村田治郎京都大学教授が監修をなさる。これだけの人材がいればきちんと建つとなり、だれも不思議がらずにできてしまう。戦前はこういう形で運用していたのだろうと思います。その後、60年に唐招提寺南大門が建ちます。奈良時代の建築と思われがちですが実は昭和の建物です。当時、届出なしで建てることはもはやできなかった。唐招提寺の届けを受けた奈良県は非常に困り、考えた末にこれは人間の住む住宅とは違うから「工作物」で許可できるとなった。以後西岡常一棟梁の活躍が始まります。法輪寺三重塔(1975)、薬師寺西塔(1981)などが工作物として木造で立てられることになる。一方で薬師寺金堂のように内陣を鉄筋コンクリート造として廻りを木造とする例も出てきます。そんな中で、唯一、構造評定をとったのが西の正倉院(1992)です。これは、既に述べたように幸か不幸かこの頃に木材が日本からなくなりラワンを輸入するようになる。ラワンを輸入する代わりに住宅も輸入しろとなり、ログハウスを輸入するんですね。そのログハウスが日本の中で建てられるように法的な整備が要る。それに則って、校あぜくら倉の構造評定が成り立ったわけです。そのあとの平城宮跡は紆余曲折がありました。また掛川城はなかなかの傑作です。主事は何を考えたかと言うと、高さが超過している部分はペントハウスだとして、これを許可しました。そして、遂に氷見の永明院五重塔(2002)で、構造解析を行って建築基準法を通した最初の木造建築が実現しました。日本の戸建てプレハブ住宅最後にプレハブ住宅も大工から大きな影響を受けた話をします。戦後の住宅復興にはプレハブと量産化が必要でプレハブ会社というのができました。私も、海外に行って、様々なプレハブを見て回りました。あのエジソンも、仮枠を鉄板でつくって、煙突からコンクリートを流し込めば無筋コンクリート住宅ができる。その型枠を解体して、次に持って行くと、プレハブになるという仕組みを考えています。ロシアのレニングラードやモスクワに行きますと、自動車で10分ぐらい走ってても団地の景色が変わらない。これは量産としては非常に効率が良いが、画一的になる。それとは逆に日本のプレハブメーカーは一品生産です。どのメーカーも、自分の会社は、創業以来、同じ家を1軒も造ったことがないと嘆いているはずです。これは先進国の中で唯一の例で、世界中の住宅関係者が日本の工場を見に来ます。その理由を調べてみると結局、発注者が大工に頼めば注文生産なのに、なぜプレハブ会社に頼むと同じものしかできないのかと文句をいうので、メーカーが幾ら規格化を推進しても応じてもらえないというのです。日本のプレハブメーカーに一品生産を強制したのは、日本の消費者で、それを教育したのは、日本の大工であったわけです。日本は大工の努力にもう少し、感謝しなければいけないと思います。(文責=竹中大工道具館)氷見の永明院五重塔(写真提供:白井大工)REPORT藤森照信(ふじもりてるのぶ)1946年生まれ。東京大学名誉教授。専門は近代建築史・都市史。著書に『明治の東京計画』、『日本の近代建築』(上下)、『天下無双の建築学入門』ほか。近年は建築家としても活躍しており、設計作品に神長官守矢史料館、高過庵などがある。内田祥哉(うちだよしちか)1925年生まれ。東京大学名誉教授。専門は建築構法。著書に『プレファブ―近代建築の主役』、『建築生産のオープンシステム』、『日本の伝統建築の構法』ほか。設計作品に佐賀県立博物館、佐賀県立九州陶磁文化館などがある。10